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境界線とは、究極、愛なのかもしれない

3 時間前
読了時間: 4分

A page from my sketchbook, inspired by Life of Pi.
A page from my sketchbook, inspired by Life of Pi.

映画『ライフ・オブ・パイ』から考える、共に生きるということ バリ島からの帰りの飛行機で、映画『Life of Pi(ライフ・オブ・パイ)』を観た。 バリでのコミュニケーション合宿中から、「バウンダリー(境界線)」という言葉や、それにまつわる体験が毎日のように意識に上ってくる。どうやら今の私にとって、とても大切なテーマらしい。 映画のある場面が、合宿で体感した境界線についての学びと重なったので、書き留めておきたい。(\*ちょっとネタバレ注意) 主人公の少年Piは、船の遭難によって、ベンガル虎のRichard Parkerと一隻の小さな救命ボートに取り残される。 あるとき、虎は海に飛び込み、ボートに戻れなくなってしまう。Piには、そのまま虎を見捨てて溺れ死なせることもできた。でも、彼はそうしなかった。虎を助け、再びボートに乗せたのだ。 ところが、虎はそんなPiの思いなどお構いなしに、ことあるごとに彼を襲おうとする。 Piは虎から逃れるため、ボートの脇に繋いだ小さな筏で生活していた。でも、食べ物や水を得るためには、どうしてもボートに戻らなくてはならない。 そしてついに、Piは逃げ続けるのではなく、虎と向き合うことを決める。 そのときの彼の言葉が印象に残った。 “If we are going to live together, we have to learn to communicate. Maybe Richard Parker cannot be tamed, but with God’s will, he can be trained.” 「一緒に生きていくのなら、コミュニケーションを学ばなくてはならない。リチャード・パーカーを飼いならすことはできないかもしれない。でも、神の助けがあれば、訓練することはできる。」 ここで興味深いのは、Piが tame(飼いならす) ではなく、*train(訓練する)* という言葉を使っていること。虎を自分の思いどおりの存在に変えることはできない。それでも、お互いが生き延びるための関わり方を学ぶことはできる。 Piが選んだのは、虎の命を奪うことでも、ただ逃げ続けることでもなく、**共存するためのコミュニケーションと境界線を作ること**だった。 そして、Piを動かしたのは、何よりも「生きたい」という強烈な思いだったのではないか。 自分の命を守るために、虎と向き合い、どこまで近づくことができるのか、何を許し、何を許さないのかを明確にしていく。 相手が虎である以上、言葉でお願いすることはできない。それでも、自分の意思を伝え、相手にも理解できる形で境界線を示そうとする。 この場面を観ながら、合宿での体験が蘇ってきた。(こちらはまた後編で書こうと思います) 境界線とは、究極、愛なのかもしれない。 境界線というと、相手を拒絶したり、遠ざけたりするイメージがあるかもしれない。 でも、自分を大切にしながら、相手の存在も大切にするために境界線が必要なのだとしたら? 相手を消したり、自分の思いどおりに変えたりせず、それでも一緒に生きていく道を探す。 私たちは、好むと好まざるとにかかわらず、互いに影響し合い、依存し合いながら生きている。 その中で、自分にとって本当に大切なものを知り、それを守るために行動すること。そして、相手に何をしてほしいのか、何をしてほしくないのかを明確に伝えること。 境界線を引くというのは、そんな行為でもあるのだと思う。 ちなみに、この映画、公開当時に話題になっていたのに、私はすっかり見逃していました。 ユーモアと智慧、そして息をのむような美しい映像がいっぱいの映画です。 まだ観ていない方には、ぜひおすすめしたい。そして、以前観たことがある方も、今観るとまた違うものが見えてくるかもしれません。私自身、今このタイミングで観たからこそ、こんなふうに受け取ったのだろうなと思います。 『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』アン・リー監督、2012年公開

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あなたへの問いかけ

誰かとの関係を断ち切るためではなく、つながり続けたいからこそ、境界線を引く。 そう聞いて、何が浮かびますか?


よかったら、あなたの体験や思ったことをメッセージで聞かせてください。楽しみにしています!


 
 
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